「カラダは哲学である」
僕はいつもそう考えています。
カラダはいつも様々なことを示唆してくれています。
魂は器が無いので自由に存在できます。
ただその魂がカラダという器に収まり人間になると、色々不自由になります。ピアノを弾きたいのに思うように指が動かせなかったり、久しぶりに走ろうと思っても思うように走れなかったり、きれいな文字を書こうと思ってもそうはいかなかったり。
そしてその不自由さに人間は思い悩んだり、
苦しんだり。
痛いと言ってはそのカラダを叩いたり、
ぐいぐい押したり。
あなたのカラダが生活習慣や思考習慣の影響で筋肉のバランスを崩してしまうと、筋肉にねじれやゆがみが生まれ、血管を圧迫して循環が悪くなったり、神経を圧迫して痛みやしびれなどが出てきたりします。
もし単純に悪い姿勢が続いてゆがんでしまったり、カラダの使い方が悪くて一部に極度の負担がかかってしまった場合には、カラダの異変を見て、正しい状態に矯正をしていけばやがて自然治癒力が発動し改善します。
そしてそういった、悪い姿勢やカラダの使い方の悪さに気を付けて生活をしていくと、自然治癒力で寝ている間に疲労回復が出来るので痛みは出ないカラダを維持できるようになります。
ただ、もしあなたの痛みが「人間関係」「会社での不満」「愛の欠乏」…などといった精神的なストレスやココロの負担から来ているとしたなら、いくら有能な治療家が施術してもまた再発します。
「人間関係」「会社での不満」「愛の欠乏」…などといった精神的なストレスやココロの負担は、知らず知らずカラダをゆがめたり、カラダに部分的な負担を生じさせたりします。そして筋肉のバランスを崩してしまうと、筋肉にねじれやゆがみが生まれ、血管を圧迫して循環が悪くなったり、神経を圧迫して痛みやしびれなどが出てきたりしまうのです。
しかも、本人はこういったことに気づいていないことのほうが多いのです。いえ、こういったことが日常で当たり前になってしまっていて、ストレスにさらされる事に鈍感になっているのです。
ではこういった場合なぜ再発するのか?
原因はココロにあるから。
ココロに原因があるのに、カラダだけ見ていては本当の解決にはつながらないのはお察しのとおりです。ココロの抱える負担が原因でカラダがバランスを崩しているなら、あなたが治療家だとしたらどこにアプローチしますか?
「人間関係」「会社での不満」「愛の欠乏」…などといった問題は、相手や社内環境を変えることが解決策につながるのでは?と思われがちですし、もちろん「会社を辞めて新たな環境で仕事を始めたら快調になった」というケースもあります。
ただ、往々にして相手の対応を変えようとしたり、社内環境を変えようとしたり、相手に愛を求めても、それは難しいのでは無いでしょうか?
相手に、あなたに心地よい人間になってもらうには何年かかるでしょうか?
社内環境をあなたの心地よい環境に変えてもらうのに何年かかるのでしょうか?それ以前に、あなたの要望を会社が受けいれてくれるでしょうか?
愛してほしいと望んで、相手からの愛を受けられるのでしょうか?
解決策は…あなた自身が変わること以外にありません。
こういったことをないがしろにしたままで、カラダの痛みを改善しようとしても、同じことを繰り返します。
そしてあなたは「治らない」と言って、あちこちの治療院をわたり歩くことになります。
恐れずに、あなたのココロを私に解放してください。当院の整体はカラダへアプローチしていますが、あなたのココロへもアプローチ出来るのです。カラダの変化からココロの変化へ導いていくことは可能なのです。
その場限りの痛みを取る事を繰り返すのはもう止めませんか?
あなたのココロが悲鳴をあげています。
痛み・しびれといった不調は「悪」ではありません、ココロの非常ベルです。
この辛い体験を期に、一緒に自分のココロにしっかりと向き合い、自己改革に取り組み、より良い人生をスタートさせませんか?
大丈夫です。
なぜなら、私がそれを体験してきたからです。